1月28日~2月6日の10日間南イタリアの旅です。もちろん観光が目的ですが、地元のワインとイタリアンを愉しむ旅行でもあります。旅の始まりは、ナポリとポンペイ遺跡です。ポンペイの悲劇はある程度知っていましたが、現地で、その跡をみると心が締め付けられる気分になります。
実は、プライベート旅行の全行程をとおして旅行会社のツアーを利用したのは初めての経験です。ここ最近は、ホテルと飛行機を予約して、現地ガイドを地元の方にお願いするというパタンであり、団体行動には不安があったのですが、なんとか、ツアー参加の他の方に迷惑をかけることなく、無事に10日間を過ごすことがきました。
1日目は、ミューヘンから空路で最初の目的地ナポリです。
ナポリの海岸沿いのホテル泊です
2日目 ナポリとポンペイ観光
ツアー観光初日の目玉は、ポンペイです。
ポンペイは、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市です。79年8月24日の昼過ぎ、突然のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されています。
まず、見学コースに入ると直ぐに現れる遺跡は、船着き場のようで、当時はこのあたりまで海が来ていたようです。
碁盤の目状に通りがあり、大きな通りは石により舗装されています。市の中心には広場もあり、かなり計画的に設計された都市で、古代ローマ生活を垣間見ることができると思います。
一般庶民の住居、富裕層の住居と区別されていたようです。驚くほど規則的に整備れていることが分かります。
この像は、広場にあるものですが、当時のものではなく、後から建立されたもののようです。
犬を飼っていた富裕層と思われる住居の入り口です。
円形競技場です。結構な規模です。これまで見てきた円形競技場に比べても、かなりはっきりと形が残っている方だと思います
火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められています。
現地でガイドして頂いたイタリア人ガイドです。名前を忘れてしまいましたが、日本後が非常に上手く、イタリア人らしいジョークを挟んだ案内で楽しませてもらいました。写真右は、今回旅行全般をアテンドして頂た鈴木さんです。
街の中には、住居だけでなく生活に必要な施設や娯楽の施設が随所に見られます。
これは、市場跡のようで、幾つかの店舗が並んでいたようです。
石臼や石窯です。当時のパン屋でしょうか?
共同浴場です。まさにテロマエ・ロマエの世界です。
娼婦の館の入り口です。
壁には、エロティックな壁画が描かれています。
噴火時に発生した火砕流の速度は時速 100km以上で、市民は到底逃げることはできず、一瞬のうちに全員が生き埋めになったとのこと。後に発掘された際には遺体部分だけが腐敗消失し、火山灰の中に空洞ができており、考古学者たちはここに石膏を流し込み、逃げまどう市民の最期の瞬間を再現しています。下記のような石膏像が何体も展示されており、今でも、補修が続けられているようです。
下記は、4~5歳の子供の最後の姿と言われています。
ポンペイの遺跡は、現在も未だ発掘が続いています。
ポンペイを訪れた際には聞かされていなかったのですが、この新たな発掘により、ある歴史上の定説が変わる可能性がでてきたということを知りました。
ヴェスヴィオ火山の噴火は、79年8月24日の昼過ぎとされていますが、これは、帝政ローマの政治家小プリニウスが、この噴火に巻き込まれた伯父の大プリニウスの死んだ日の様子を語った書簡から、この日が噴火日とされたようです。しかし、昨年、最近発掘された遺跡から、同年の10月17日以降である可能性が出てきたとのことです。これは、発掘されたある家屋にあった落書きに、11月の16日前、すなわち10月16日を示す文字があったことと、当時秋にしか実らない果実が見つかったことによるものです。
ポンペイの悲劇を描いた「ポンペイ」には、夏にローマから訪れていた上流階級の人々がこの悲劇に遭遇した姿が描かれていますが、もし10月であれば、そのような上流階級は、噴火当時には、ボンペイにはほとんど居なかったといことになります。では、実際に被害にあったのは、どのような人達なのか?それは、一般の庶民と当時多く働いていた奴隷と考えられます。上記の石膏像には、奴隷を拘束したベルト跡が見られるものも発見されているようです。
いずれにせよ、突然の噴火により子供や若者を含む多くの人が命を奪われ、繁栄していた街が一瞬に火山灰に埋もれた死の街になってしまったことに心が締めつけられます。
ポンペイは、機会があれば是非訪れるべき世界遺産だと思います。
ナポリからシチリアへ
昼食後は、ナポリ見物です。 スパッカ・ナポリというナポリ旧市街の中にある東西およそ1kmほどのエリアで、パン屋や雑貨店、青果店などとともに土産物店が並んでいます。
サン・グレゴリオ通りには、イタリアの伝統的なクリスマス飾りである「プレゼーペ」を扱う店が軒を連ねています。
赤いとうがらしのような角のお守りでコルネットロッソあるいはコルノと呼ばれているようです。赤は勝利を意味し、尖った角は強さの象徴とのこと。
カラフルな瓶は、リキュール類です。
ようやくワインの登場です。
今回のツアーでは、できるだけ地元(同じ州内)のワインを飲むことを意識しました。地元の食事に合うのは、やはり地元のワインです。
ということで、白は迷うことなく、カンパーニャ州を代表するD.O.C.G(保証付き統制原産地呼称)ワインの「グレコ・ディ・トゥーフォ (Greco di Tufo)」です。 名前が示すようにギリシアを起源とすると考えられている白ブドウ品種のグレコから造られるワインです。日本でもイタリアワインをそれなりに扱っている店であれば、容易に見つけることができます。
淡いゴールド、メロン、黄リンゴ、アプリコットといった果実を強く感じます。すごく軽い白ワインという訳でなく、結構、果実の凝縮味を感じ、酸とのバランスが取れています。このワインの造り手ですが、マストロベラルディーノ(Mastroberardino)という名門です。この造り手で日本でよく見るのは、タウラージ(Taurasi)です。
3.3
あとで気付いたのですが、この造り手の木箱を持っていました。6本入りの箱で蝶番付きの蓋がついている凝ったもので、某ワインショップの外に置いてあったものを衝動買いしていました。恐らくタウラージ用の木箱だと思われます。
肝心の料理は、あまり覚えていないのですがパスタだったように記憶しています。
食事後、シチリア行きのフェリー乗り場に向かいます。
夜遅く、ナポリを出港したフェリーは、翌朝にパルレモに着きます。思ったより長い船旅のうえ、小雨の悪天候の影響なのか、結構揺れます。
ナイトキャップとして飲んだ赤ワインです。
日本でもおなじみの、ラクリマ・クリスティ、「キリストの涙」という名のDOCワインです。正式には、ラベルになるように"Lacryma Christi del Vesvio"というようで、ヴェスヴィオ山の斜面で生産されているようです。濃いめの赤ワインですが、ややジャミ―で、どちらかと言えば好みではありません。
2.5
翌日より、いよいよ本命のシチリア島です。
(続く)